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このページでは、通天閣のいろいろなデータや、こぼれ話を紹介します。
数字や堅苦しいお話も多いですが、ここを読めばあなたも立派な通天閣博士になれるかも。
 
 通天閣基本データ
 
所在地 大阪市浪速区恵美須東1-18-6(面積204㎡)
構造 本体:鉄骨鉄筋コンクリート造り
下部:四角型桁式加構自立型/中部:八角型桁式加構自立型
上部:円型/塔高:地上100m/幅:24m/脚間:24m
補助棟:鉄骨鉄筋コンクリート造り
展望台構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り(周囲ガラス張り2階建て)
位置 塔体上部に位置する 1階床まで84m、2階床まで87.5m 
面積 1階:103.96㎡、2階:142.80㎡
建屋構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り
面積 3階:648.59㎡、2階:615.20㎡、中2階:309.09㎡
1階補助エレベーター棟 85.28㎡、地階 860.23㎡
利用方法
3階:催会場 2階:売店、遊技場、切符売場
中2階:事務所、役員室、更衣室 1階:ロビー、切符売場
地階:歌謡劇場、電気機械室
 
 通天閣こぼれ話
 
名称の由来
「通天閣」という名は、新世界を開発し通天閣を建設した大阪土地建物(株)社長であり、当時の大阪商工会議所会頭を務めていた土居通夫の「通」をとり、「天に通じる高い建物」という意味を込めて付けられたということが定説になっていました。

しかし「通天閣」の命名者については、初代通天閣を経営していた大阪土地建物(株)が1912年(大正2年)に発行した「大阪新名所新世界写真帖」など当時の記録にも一切触れられておらず、空白のままになっていました。

1956年(昭和31年)に再建された通天閣を経営する通天閣観光(株)では「大阪土地建物が社内で協議して決めたのだろう」と解釈していたのですが。

1985年(昭和60年)12月、「通天閣30年史」の計画を知った大阪市住吉区の藤沢成太氏が「名付けたのは私の祖父・藤沢南岳です」との手紙を寄せたことから、命名の由来が明らかに。

藤沢南岳は明治維新前夜「朝敵」と目された高松藩の藩論を佐幕から勤王に転換させるなど、政治の舞台で活躍した高名な儒学者。

また、南岳は大阪船場で父・東ガイが開いていた私塾「泊園書院」を引き継いだ教育者でもあり、漢籍への精通は当代随一といわれ、あちこちから命名の依頼を受けていました。

いわば当時の名付けのプロで、
紅葉で有名な小豆島の「寒霞溪」なども南岳が名付けたとされており、教育を通じて実業界とも付き合いがあったと見られています。

通天閣の命名について南岳自身が日記などに書き残したものは見当たりませんが、家族の間で語り継がれており、藤沢成太氏のいとこにあたる作家藤沢桓夫氏も「間違いない」と証言しています。

こうしたことから、通天閣観光(株)も「大阪土地建物が命名を頼んでも不思議ではない」と判断し、これで初代通天閣が完成してからのナゾが75年ぶりに解け、空白が埋まることになったのです。

(写真:1986年3月25日付朝日新聞の記事)

 

 

通天閣の設計者は誰?
設計したのは、内藤多仲(ないとうたちゅう・1886~1970年)さん。
26歳で早稲田大学の教授に就任した山梨県出身の人です。
ところで、通天閣と2つ年下の東京タワー。
なんと、設計者は同じこの内藤多仲なんです。他にも旧歌舞伎座など設計。
通天閣と東京タワーは兄弟みたいなものなんです。

通天閣の東面に大きな時計があること、気付いてますよね。この大時計は、文字盤の直径5.5m、長針の長さ3.2m、針の重さは1本30kgという日本一のマンモス時計です。

地上から展望台までの階段は503段。うち補助塔のらせん階段が106段。けっこうハードです。

通天閣の塔頂部に取り付けられていた茶つぼのタイムカプセルが、2001年9月に、再建を呼びかけた人の子孫らによって開かれ、2本の巻物が取出されました。
巻物の冒頭には「通天閣の再建なくして新世界の繁栄は生まれず」とあり、再建当時の苦心談や力を尽くした人々の功績が書かれてあります。
巻物の長さは何と13メートル!資金繰りに悩みながらも、一帯の戦災復興にかけた意気込みが伝わってきます。現在は4階に展示されています。
 

営業案内・料金
9:00~21:00(年中無休)
※ご入場は20:30まで

交通アクセス

天望パラダイス

わくわくランド

周辺の見どころMAP

通天交響楽団

 

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